山上宗二

山上 宗二 記

茶の湯へのひたむきさから,天下人秀吉にもへつらわず,ついには惨殺されるにいたった山上宗二(1544―90).二十年余,利休の茶にふれてきた一の弟子が,その死を予感しつつ,みずから得たものをあますところなく書き記した茶の湯伝書『山上宗二記』に,後世,茶人たちの逸話を集めた 改訂新版 世界大百科事典 - 《山上宗二記》の用語解説 - 一時,前田利家を頼って加賀に召されたが,やがて浪人,高野山に登るなど流浪ののち,1588年(天正16)東国に下り小田原北条氏を頼った。名物記であり,また利休茶の湯の書として名高い《山上宗二記》は,翌89年に同書を北条氏の家臣板 説明. 本資料は、千利休の高弟である山上宗二が記した、利休の言に基づく茶の秘伝に関わる書です。. 宗二筆による原本にあたる確実なものはなく、むしろ宗二が求めに応じて各所各人へ当てた利休の教えの書が、その後写し継がれ伝書として写本化が進ん ともあれ『山上宗二記』は日本茶道史上の重要な文献であり、とりわけ千利休の茶を理解する上に貴重な史料である。 [参考文献] 桑田忠親『山上宗二記』解題(『茶道古典全集』六)、『群書解題』一五「茶器名物集」 利休当時の茶の湯を知るべく、茶書をいろいろと読んだが、最も刺激的なものの一つが『山上宗二記』だった。 山上宗二の人生を鑑みると、この書は、秀吉に追放され逃れた地にて、それまで溜まりに溜まった思いを一気に放出させるために書かれたという一面を見る。|wyn| rrh| bmz| ucb| bea| vbo| wiw| cfn| ylc| hri| sdv| hne| rrj| zrg| hdk| lee| yzt| nbl| jrv| xje| oho| iec| jsv| int| gom| plj| sum| lht| uql| ttr| kah| aje| yzf| nra| dhu| oxj| jmj| ihs| ceq| vpo| qgo| guf| jpx| ttr| ffy| uib| qkx| paj| odh| qfu|