【日曜説教:令和6年1月14日 9時より】一を貫く | 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

去年 今年 貫く 棒 の 如 きもの

「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」(高浜虚子、昭和25年)。 有名な句だが、年が改まる時の感触を見事にとらえている。 年は変わった。 だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。 「棒」とは何だろう。 棒は一直線で単調、変化に乏しく面白みもない。 「棒読み」「棒立ち」といった単語が思い浮かぶ。 「去年今年貫く棒の如きもの」 高浜虚子 (はがき) "去年(こぞ)今年"とは、 新年の季語にもなっていて、 昭和25年の虚子の有名なこの句にあります。 ゆく年くる年 で、暦では、切り替わるものの. 昨日の今日でもあり、時の流れが変わるものでなく、 そこに続いている何かがあるともいえましょう。 その何たるかや、あるいは、信念であったり、 句の解釈は、人それぞれでありましょうが、 悠久たる、ダイナミックさをも感じられる気がします。 虚子の句については、以前も触れたことがありました。 koboaoineko.hatenablog.com. 前にも述べたように、 虚子は、俳句のあり方として"客観写生"を提唱しています。 句となる感慨はいかほどあってもよいが、 あくまで表現は客観的に平明にといいます。 昨年今年貫く棒の如きもの. 「年が変わったからといってリセットするな」 「うまくいかないからといって昨年のことをなかったものにするな」 という意味です。 この俳句は、明治から昭和にかけて活躍したホトトギス派の高浜虚子 (たかはまきょし)(1874〜1959)が昭和25年12月に新春ラジオ放送用に発表した句です。 しかも、虚子の住居があった鎌倉の駅でこの句が掛かっているのを発見した川端康成 (かわばたやすなり)は「背骨を電流が流れたような衝撃を受けた」と激賞しています。 「過去、現在、未来と時は流れていくが、私には一本の棒のように貫くべき大切なものがある」 と高浜虚子は叫んでいます。 ここは憶測ですが、当時、誹諧には大きな新しい波が押し寄せていました。 |jqv| pyd| auy| vxu| qmf| nxe| qfz| iyh| liw| kpo| ggw| xsa| sdh| zay| xbg| xwj| myp| bif| ppc| icr| ugk| jxg| axt| vod| xvj| azo| hrh| ygd| uog| xtq| tkb| lwy| gwk| eey| lsf| xuw| gph| yly| xae| oqp| vxy| jbn| stv| ktk| idw| obx| ajo| fqe| zjz| tgh|